メル婆さんのことは、父さんが話します。
享年、推定16歳、晩年には何も語らず、何も求めず、ただ静かに余生を送っていました。
最後の二年程は、病との戦いでした、弱めの心臓と子宮筋腫のため、排泄そのものが苦痛のようでした、お尻を屈めたまま十分でも二十分でも力んでいました、それでも出ないときは、諦めてしまうことも。
医者で、便を出すために肛門から指を入れられても、悲鳴も上げず涙ぐみながら我慢する、そんな子でした。
ある夜、いつものように私がパソコン部屋にいると廊下で、「バタン」と音がしました。
覗いてみると、そこには、助けを求めにふらふらになりながら、こちらに来ようとするメルの姿がありました。
そんなときくらい、一声吠えてくれても良いのに、そう言いながらも声もでないほど苦しかったのか、とも思いました。
取り敢えず抱いてはやるものの、それ以上は為すすべもなく、膝の上で涙とも鼻水とも付かないものを流しながら舌をだらんと出している姿を見たとき初めて、この子の死を予感したのでした。
しばらくして心臓発作は治まったようで、その夜は何とか明かすことができましたが、これを機に、子宮筋腫も更に辛さを増し、人生最後の階段を一歩ずつ確実に昇っていくのが分かるようになりました。
最後は、子宮内の腫瘍が破裂したようで、多量の下血、バスタオルを日に何度も交換してやるのですが、すぐに血で染めてしまい、汚れたとこにいるのがイヤなメルは、バスタオルの上を点々と移動するのでした。
それが余りにも落ち着かなさそうなので、いくら汚しても良いんだよと言い、動かなくても良いようにと、生まれて初めてケージと言うところに入れてやりました。
元気なときにはもちろんプライドが許さなかったでしょうが、何故か、大人しくケージに入り、安心したような、悟ったような、落ち着きを見せるのでした。
ケージで生活するようになって2週間ほどで、その日はやってきました。2000年6月29日午前3時頃、私が、生きているメルを見た最後の時です、少しパソコン部屋で仕事をして、午前3時半、寝室のケージを覗いてみると、両手両足を突っ張らせて、メルは舌をダランと出していました。
おそらく最後の心臓発作が襲ったのでしょう、ろくに食べることもできなかったので、うち勝つ気力は既になかったようでした。
体に触れてみると、既に死後硬直が始まってはいたものの、まだほのかに体温も感じました。
忘れられないメルの最期でした。 |