1984年のある日、今となってはその季節さえ思い出しませんが、暑さや寒さが厳しい季節ではなかったように思います、その頃はまだ赤の他人の家人が実家近くの路上で恐らく車に轢かれたであろう子犬を連れてきました。
恐らくというのは、一見外傷らしきものが見られなかったからです、しかし下肢はは全く動く様子がなく恐らく脊髄などが損傷しているように思われました。
「どうしよう」、これが家人の言葉でした。既に拾ってきてしまってから、どうしようもないもんだ、そのときの正直な感想です。
「捨ててこい」とか、「保健所へ持っていけ」とか私が言えないことを知っていての凶行です。
結局出した結論は、取り敢えず明日になったら、病院へ連れいて行き、状況を見て貰う、治療に専念するか、状況によっては安楽死を考えてあげるか、半身不随のまま生き続けるのもそれはそれでこの子にとっては苦しいことかもしれない、と言うことでした。
半身不随の子を育て続ける状況にはありませんでしたので、ほんとに育てるなら、家人は仕事を辞めなければなりません。
無論そのようなことはできないでしょう、でも、拾ってしまったからにはとことん付き合う責任ができてしまいました。
大変なことだ、と私は思っていましたが、当の家人は考えているのやらいないのやら。
結局、医者で検査をしたところ、どこにも損傷らしきものは発見せず、「心因性ショック」によって、動けないのではないか、と言うことでした。
医者に結論を預けていた節のある私たちは、結局どうして良いのか分からずに、アッという間に1週間程が過ぎました。
気が付けば、当のご本人は、ぴょんぴょん走り回っているではありませんか、心痛の日々もどこへやら、既に家人は美容院へ連れて行くは、身の回りの小物を買い集めるはで、早々に我が子の座を与えているのでした。
よく調べると、かなり汚い首輪らしきものをしていましたので、温々と暮らしていたのに、何かのきっかけで脱走して、恐らく何ヶ月も放浪した挙げ句、車に接触、腰が抜けて動けなくなっているところへ家人に拾われた、と言った感じでした。
医者の話では、推定生後半年くらい、と言うことでした、ですから享年「推定16歳」なのです。
本来の飼い主がいるなら返してあげなければ、と私は言い、しばらくは近隣でそのような話がないか気を付けていましたが、結局何もないまま、とうとう家の子になってしまいました。 |